子育て ときどき 自分のこと

娘2歳、私43歳。元旦那で娘のパパ43歳。最初で最後の子育て?頑張ってます。

育児トンネル

子育てって、悩みがつきない。

 

「おっ、これでいけるかも!?(嬉)」と、1つ問題を乗り越えると、「えー、何これどーすんの??(# ゚Д゚)」とすぐまた次の課題が目の前に現れる。

 

それはまるで、私が大の苦手な北陸道のトンネルのよう。

新潟から金沢へ行く時に、新潟と富山の間に26本のトンネルがあるのだが、それらは次々と現れる上に一本一本が長くて、あまりの緊張の連続に、私は「26分の8」辺りで、

「あー、もう金沢行くのやめよう」

とさえ思ってしまう。

 

でも、子育てではそうはいかない。

「もうこの子育てるのやめよう」 

というわけにはいかない。

 

 

娘と2人で歩く育児トンネルをイメージする。

 

グズる娘の手を引っ張って、2人でトンネルの中を歩く。

先にまだ光は見えない。

娘の泣き声がアスファルトの壁に反響して響き、私をさらに不安にさせる。

娘の手を握り直して、明るい声で、「いちに!いちに!」、「大丈夫、大丈夫!」、頼もしいママになろうとする。

なのに、

「抱っこぉ〜!」 

私の前に立ちふさがり、両手を広げる娘。

「抱っこ!抱っこぉ!」

泣きたい。

13㌔にもなった娘。

この子を抱いて、出口まで行けるだろうか。

でも、このままでは一歩もすすめない。娘の泣き声はさらに大きくなる。

 

仕方ない。

娘の両脇に手を差し入れ、「よいしょ」と持ち上げる。

「行くよ」

私の硬い声と娘の満足した顔。

歩き続ける。休む暇があったら、少しでも早くここから出たい。

 

…出た。

問題を解決できたからだろうか。それとも、ただそれが終わっただけなのか。

暗いトンネルからようやく陽の射す場所へ。

娘が私の腕から逃げたがり、降ろすと何かを見つけて走り出す。

よかった。

空が青い。風が気持ちいい。

キャッキャッと笑い、何かを追う娘の後をゆっくり歩く。

ゆるいカーブを曲がる。

あ、また…トンネル。

娘の向かう先にまたトンネルが見える。

「待ちなさい、ちょっと待って」

お構いなしに娘はトンネルの中へ駆けて行く。

急いで追わなくちゃ。でも足が重い。

少しくらい遅れても、どうせすぐ「ママー!!」と叫ぶ娘の声が聞こえてくる。それで居場所はわかるはず。

なのに。

どうしたんだろう。呼ぶ声がしない。

 

もしかして1人で行ってしまったの?

 

私の足が早くなる。トンネルに入る。娘を呼ぶ。もう一度。もう一度。

「ママ」

ふと見ると私の後ろ、トンネルのほんの入り口の所に娘が立って、垂れ下がった植物の弦を面白そうに眺めていた。

「ママと一緒に行くよ」

娘の手を取り、また暗いトンネルの中を歩き出す。

今、何か大切なことに気づいた気がする。歩きながら、ゆっくり頭の中を整理する。

 

そうだ。

今次々と現れるこの育児トンネルの先には、いつか娘が1人で歩かねばならない娘の人生のトンネルが現れる。

私が手を引いてあげたり、抱っこしてあげたりすることのできない、私の声も届かない娘のトンネル。

「一緒に行こう」と言っても、きっと断られてしまう。

手を握ろうとしても、きっと振り払われてしまう。

いつか、そんな風に、こんなトンネルの中を1人で歩く娘のために、今私がしてあげられることはなんだろう。今こうやって2人で歩きながら、娘にできることはなんだろう。

隣の娘を見る。

リュックにつけた赤いリンゴのキーホルダーが、娘が歩くたびに揺れている。

知り合いに誘われて行った親子音楽教室の無料体験会で配られていた物だった。娘が気に入ってリュックにつけてほしいとせがまれ、音楽教室の名前も大きく書いてあるそれを、私はあまり気乗りはしなかったが、チャックのところにつけてあげたのだ。

結局教室には入会しなかったが、あの日の帰り道も、こうして2人で手をつないで帰ったっけ。教室で歌ったドレミの歌を口ずさみながら。

 

歌。

そうだ。

2人で歌を歌って歩いた記憶が、いつか1人で歩く娘を励ましてくれるように。慰めてくれるように。私の代わりをしてくれるように。

今この育児トンネルの中で、私は娘の手を握って、歌を歌おう。子どもの歌も、大人の歌も、楽しい歌も、悲しい歌も。私が好きな、上を向いて歩く歌、紙飛行機の歌、もともとオンリーワンの歌。暗闇の中でこそ何倍にも響く歌。

 

ドーはドーナツのドー♪

私が歌い始めると、娘もところどころ言葉を拾って、歌い出す。すごい、あの日歌ったきりなのに。

 

ミはみんなのミ

ファはファイトのファ

 

娘の手をとって、一緒に歩ける幸せ。

 

シは幸せよ

今しかない。

「さあ歌いましょう」